地方独立行政法人 大阪府立病院機構
大阪国際がんセンター 総長
松浦 成昭
がん撲滅に向けて大阪から世界に発信!
がん撲滅サミットは医療者だけではなく、政・財・官、そして患者・家族を始めとした市民の皆様もいっしょになって、がんの撲滅を目的として行われるものです。患者さんの視点に立って、様々な分野の最前線で臨床・研究に取り組んでいる医療者が集まり、市民の方々と本音で意見交換をすることが最大の特徴です。日本人の2人に1人ががんにかかり、がんは国民病と言うべき時代になっていますので、オールジャパンとして始まりましたが、視野を大きく世界に広げて挑戦するということで、世界がん撲滅サミットへと発展を遂げました。誰もがこのサミットに結集し、実のある議論をすることにより、がんの撲滅に向けた大きな一歩になることを期待しています。
がんの医療は大きく変貌しました。「不治の病」と言われ、治療成績は不良であった時代からすると、がんの診断も治療も顕著な進歩が見られ、治療成績は全体として大きく改善しました。しかし、依然として高度進行がん・再発がんに対する治療手段は限られており、延命期間は延びましたが、最終的には不幸な転帰をとげることが多く、さらなる努力が必要です。がん医療の進歩とともに、患者さんが普通の生活を送るための支援を行うことも重視されるようになりました。がんが治ることはもちろん大切ですが、治ればそれでよいというものではなく、QOLを十分に保って、毎日の生活を送ることも同じくらい大事です。様々な支援を行うとともに、できるだけ負担の少ない治療法を考えていかなくてはなりません。
今回は初めて大阪での開催と言うことで関西在住の立場から大変喜んでいます。がんの統計を見ると、関西地区はがんで亡くなる人の多い地域です。1990年代から2004年まで、日本全国の都道府県の中で大阪府はがん死亡者の割合が一番多い所でした。お隣りの兵庫県や和歌山県も悪く、関西地域は東北、北九州と並んで、なぜかがんで亡くなる人の多い地域です。2005年くらいから少しずつ改善してきて最下位の状況は脱しましたが、今でも後ろから10番目くらいの状況で、まだまだがんばらないといけません。
ところで、大阪と言うと何を思い浮かべられますか?「お笑い」「たこ焼き」といったよく言えば庶民的、少し悪く言うとB級・低俗なことがまず頭に浮かぶ人が多いかもしれません。しかし、大阪はかつては医療の先進地域でした。最も歴史ある御三家の田辺・武田・藤沢製薬を始め多くの製薬会社は、江戸時代17世紀に大阪で発祥しました。また、緒方洪庵が適塾を作って、若い医師を育成したのも19世紀の大阪でした。緒方洪庵は日本に種痘を広めましたが、当時としては大変チャレンジングなことであったと思います。大阪にはチャレンジ精神がありますので、東京の皆さんの叡智といっしょになってがん撲滅に努めたいと思います。
がん撲滅サミットは第一線のがん研究者・臨床家が集いますが、主役は一般市民の皆様です。このサミットでがん医療の最前線を知るとともに、十分に議論し意見交換することが大切です。受け身ではなく、攻めの姿勢・積極的な意気込みで皆の叡智を結集することが、名前の通りがんの撲滅をめざすことにつながります。一人でも多くの人の積極的な参加をお待ちしています。