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提唱者・永世代表顧問メッセージ

~ 人類をがんから解放しよう! ~

『がん撲滅サミット』とは、2013年9月に身内に2人のがん患者がいる日本の作家・ジャーナリストの中見利男氏が、一向に大きく減らないがん患者死亡率を将来的にゼロにしていくために、医療をはじめ、政府、官僚、経団連などの各界に呼びかけて「オールジャパンでがん撲滅に向けて立ち上がろう」と提唱したことから始まったがん撲滅ムーブメントです。

この提唱活動によってパシフィコ横浜にて2015年6月9日に最高顧問、代表顧問主導の下、開催された第1回がん撲滅サミット(於:パシフィコ横浜)において皇室よりご来臨された高円宮妃殿下から『攻めなければ負けしかないなか、がん撲滅を目指すぐらいの意気込みは必須と感じます』との名誉あるお言葉を賜り、文字通りオールジャパンでがん撲滅に向けて乗り出そうという機運が高まりました。

ここで大事なことは『人類をがんから解放しよう!』という明確な意志を以て挑戦を開始することです。

世界がん撲滅サミットの目標

確かにがんは日々人間の体内に4000個~6000個発生しており、がん発症そのものをゼロにすることは困難だと言われております。しかし、大事なことは、副作用のない、持ち運びができて職場や自宅、旅先でも服用のできるリーズナブルながん予防薬を一刻も早く開発することです。

そのうえで、がん死をゼロに近づけようとする、たゆまない努力と、がんの早期発見、新しい治療法の開発及び創薬の実施が重要です。またがんを撲滅しようというアグレッシブな心を持つことでがんと診断されても積極的に生への希望を失わず、がんとの闘い、あるいは共存を目指して治療を実行することが重要です。

もちろん現在の標準医療が素晴らしいことは誰も否定しません。しかし標準治療絶対主義のように免疫療法やその他の治療法を叩くだけでは希少がん、難治性がんの患者の皆さんをがんから解放することはできません。逆に標準治療を頭から否定して免疫療法や新しい治療法こそ絶対に効く! と主張することも正しいことだとは思いません。

なぜなら、がん医療においては、すべての治療法は発展途上にあるといっても過言ではないからです。どんな治療法も絶対はありません。副作用や人によっては効かないこともあるのです。

こうしたなかで我々が重視するのは、個人個人に合った治療法を駆使する現実的ながん医療への改革です。

これまで『がん撲滅サミット』は9回の大会を開催し、政府、財界、医療界、がん患者、市民の方々など約8,200人の人々が全国より一堂に会しています。

おかげ様で第3回大会(於:パシフィコ横浜)では、今、話題の光免疫療法の治験開始に対しても後押しをさせていただいたほか、2019年5月21日に急逝された故・北島政樹先生の追悼大会として新たに世界で活躍する原丈人氏(内閣府参与、アライアンス・フォーラム財団代表理事)を大会長に迎えて第5回がん撲滅サミット(於:東京ビッグサイト)を開催。

それまでの小林久隆氏の光免疫療法及び出澤真理東北大学大学院教授のミューズ細胞の推進に続き、東京大学医科学研究所の藤堂具紀教授が開発したG47Δ(ウイルス療法)の実用化に向けた承認申請についても希少がんの患者の皆様のために後押しを開始。

また、すい臓がん、小児がんなど難治性希少がん撲滅のための『先端高度がん医療センター(仮)』構想の政府への提言活動など、具体的なアクションを起こすことができました。

さらに第5回大会直前の米国時間2019年10月29日にサンフランシスコで開催された『World Alliance Forum in San Francisco』(主催アライアンス・フォーラム財団)でも米国およびEU、アジアで活躍する医療者、研究者、ビジネスマンたちを前に提唱者の中見利男が「世界を変えよう! 人類をがんから解放しよう!」と米国でもがん撲滅を提唱。

これは大きな反響を呼ぶ歴史的スピーチとなりました。

同日、それを受けてがん医療の世界的権威でシカゴ大学プレシジョン医療研究所の所長マークJ.ラテイン教授によって『日米がん撲滅宣言』が格調高く読み上げられたのち、東京の地で開催された第5回がん撲滅サミットでも同様に宣言文書が発表されました。

これによって日本から始まったがん撲滅への挑戦が米国にも広がることになったわけです。

日米両政府にがん医療改革提言書を共同提案へ!

そして2020年11月15日(日)午後1時より東京ビッグサイトにて『日米がん撲滅サミット2020』を開催いたしました。当日は新型コロナウイルスの脅威のなかで行われた本大会ですが、約400名(動員通算約5400名)の皆さんが熱心に耳を傾けメモを取っておられました。

当日は米国から前述のマークJ.ラテイン シカゴ大学教授、乳がんの世界的権威であるローラ・エッサーマン カリフォルニア大学サンフランシスコ校教授ほか世界のがん医療をリードする米国トップクラスの医療者、研究者がそれぞれリアルタイム・リモート参加、また事前収録などで対応くださいました。

もちろん米国チームを迎えた日本側のメンバーも彼らに劣ることのない文字通り世界的なリーダーたちでした。加えて2021年、上記のラテイン教授のチームと原丈人大会長、中村祐輔氏、中見利男氏らのチームで日米両政府にがん医療改革への提言書を共同で提出することになりました。

さらに私共の活動が実り、先の藤堂具紀教授が開発したウイルス療法G47Δの承認申請が2020年12月に行われ、12月28日(月)PMDAがこれを受理。さらに2021年5月24日(月)厚生労働部会によって承認の見通しが打ち出され、ついに6月11日(金)厚生労働省はG47Δを、脳幹グリオーマを対象として、これを承認いたしました。これはがんに応用したウイルス療法では世界初となる偉業です。

今後は藤原俊義教授(岡山大学大学院医歯薬学総合研究科消化器外科学)が取り組んでいらっしゃる食道がん・ウイルス療法のご支援を行うなど、日本をG47Δやテロメライシンなどのウイルス療法先進国にしていくために、さらに鋭意努力して参ります。

さらにMuse細胞のデータ改悪問題においても中見利男氏が厚労省と協議。結果として相手先企業に対して、早期のデータ開示を促すことや解約に向けた動きをスムーズに行うことが決まり、医療全般の諸問題解決に対してアクションを起こすことができました。

また小児がんの治験における第3相試験で偽薬を使用するのは倫理的問題があると厚労省に交渉した結果、小児がんの治験においては偽薬を用いることを中止する方針を厚労省が打ち出しました。

そしてがん撲滅ムーブメントを世界に展開した結果、米国バイデン大統領が2047年がん撲滅を宣言いたしました。

このように、より患者に、より負担のないがん医療の世界を構築するために我々は前進を開始いたしました。

そして2021年12月5日。ついに我々は米国、アジア、EUの代表をゲストスピーカーに迎え、念願の『世界がん撲滅サミット2021』を2025年万博が開催される大阪で初めて開催させていただき、大成功を収めることができました。当日は大阪府知事 吉村洋文氏をはじめ関西経済連合会会長 松本正義氏、大阪府医師会会長 茂松茂人氏ら大阪の政治・経済・アカデミアの重鎮をお迎えし、米国から前述のマーク・J・ラテイン教授、EUから世界的ながん医療の権威ジャン=イヴ・ブレイ教授、香港からやはり腸管免疫細胞研究の世界的権威フランシス・チャン教授、そして日本からノーベル賞候補の中村祐輔氏、坂口志文氏のお2人にそれぞれご講演をいただくまでに成長いたしました。

これも皆様のご支援をいただけたからであり、改めて感謝申し上げます。

今こそチーム・マンカインドで挑戦を開始しよう!

我々の目標は大胆です。

それは日米及び世界の人々と連携して『チーム・マンカインド(人類)』の力によって、がんを2030年に撲滅するというものです。

そこで2025年をがん予防薬元年と位置づけ副作用のない持ち運びのできるリーズナブルながん予防薬を世界で開発しようというアクションを開始いたします。

そのために2020年より、まずがん・感染症予防につながる腸管免疫細胞強化に向けた『ヒポクラテス・プロジェクト』を開始いたしました。

これは『すべての病は腸から始まる』と看破した古代ギリシャの医聖ヒポクラテスの精神を見直すための画期的イノベーションにつながるものでもあります。

多くの人々は、がん撲滅は不可能だと否定するかもしれません。

しかし我々はこう考えます。

『不可能は可能性を生み出す母なのだ』と。

そもそも天然痘でもペストでもそれを撲滅しようと呼びかけた最初の人々は「そんなことは不可能だ」と世界中の人々から否定されたのです。しかし名声よりも勇気を失うことを恐れた先人は、天然痘やペストを撲滅するために戦い続け、ついに不治の病から人類を解放したのです。

だからこそ、今、我々も『がん』の悲劇から人類を解放するため、その撲滅に向けて立ち上がる道を選んだのです。

大事なことはAIや研究者、企業のネットワークを活用することで『チーム・マンカインド』のパワーアップを図り、データを徹底的に分析。先端技術を大胆に投入するイノベーションの精神を失わないことです。

そのためにはサイバー世界だけでなく志ある人々が実際に一堂に顔を合わせ、お互いの意見やアイデア、そして心を通わせ合うことが重要です。だからこそ今年11月24日(日)13時より大阪国際会議場において開催される『世界がん撲滅サミット2024 in OSAKA』は歴史的にも重要な意味と使命を帯びているのです。

どうか私共の趣旨をご理解いただき、『世界がん撲滅サミット2024 in OSAKA』開催に向けてご支援、ご指導をいただけますと幸いです。

さあ皆さん、がんの未来医療を世界の人々と発展させるためにも『チーム・マンカインド』の一員として一人ひとりが、がん撲滅に向けて共に立ち上がり前進を開始しましょう!

世界がん撲滅サミット2024実行委員会一同

原丈人大会長メッセージ

原丈人
世界がん撲滅サミット2024 in OSAKA 大会長
アライアンス・フォーラム財団代表理事

『世界がん撲滅サミット2024 in OSAKA』大会長として一言ご挨拶申し上げます。

おかげ様で本年は記念すべき第10回記念大会となります。

政府、経済界、医療界、そして各界の皆様、ご協賛いただいた皆様、関係者、患者の皆様に心より御礼申し上げます。

私は20代半ばに日本を離れ現在に至るまで、ずっと海外に暮らしております。20代は中央アメリカの考古学に没頭、29歳の時にシリコンバレーで米国最初の光ファイバーディスプレーシステム開発メーカーをスタンフォード大学のキャンパスで立ち上げたのを皮切りに30代から40代にかけてソフトウエア、半導体、通信技術、バイオメディカルなど先端技術分野の事業をアメリカ、欧州、イスラエルでいくつも立ち上げ、そのうちいくつかは世界的な大企業に成長しました。

50代ではアジア、アフリカなど途上国世界で技術を応用して貧困問題を解消することに取り組んできました。国連でも政府間機関特命全権大使として飢餓、栄養不良、貧困問題などに取り組んできました。

そしてさらにこの理念を昇華させるため、私は「天寿を全うする直前まで健康でいることを実現できる世界最初の国に日本がなる。」というビジョンを2013年に掲げました。

さらには、2050年までには人類を苦しめている6,500種類の難病も日本でなら治療の可能性があるという世界的な国家をつくりたいと考えています。

天寿を全うする直前まで健康でいられる社会を実現していくには、人間の健康と社会の健康、そのどちらにも目を向けていく必要があります。人間の健康は、たとえば、がんの早期発見、予防が大事で、そのためには先端科学技術が必要です。また社会の健康には私の提唱する「公益資本主義」の理念が必要です。この公益資本主義の理念と先端科学技術で私は日本人を豊かにしたいと思っております。

ところで私はこうした活動の中で、がん撲滅サミットの存在を知りました。提唱者は作家でジャーナリストの中見利男氏です。

いつの日か、がんを撲滅したいと願い、政府と民間が一体となって取り組んでいるがん撲滅サミットは日本だけではなく、広く国際社会でも必要な活動です。

今、日本に必要なことはがん医療界に革新的な技術を導入し、その力によってがんを撲滅するという力強いエネルギーです。海外で標準治療になるのを待ってから我が国が追随するというのでは壁は突破できません。自らが先頭に立って壁を突破しようと工夫しなければなりません。

主だったがんの撲滅を2030年までに実現し、世界で最初の「がん撲滅国家」となることを目指そうではありませんか。

私はがん撲滅と並行して心臓病、脳、肝臓、肺などの病気治療技術や環境の向上、車椅子や失明からの解放など「大病をしても回復し寿命を全うする直前まですべての国民が健康に暮らせる世界最初の国をつくる」ことに向けて、これからも尽力していきたいと思います。

新型コロナウイルス禍の中で苦しんだこの数年間、我々は失ったことも教訓として得られたこともあります。必要なことはがん治療法のさらなる開発と支援を行うこと以外に、がんを未然に防ぐ治療法の確立です。

そこで今大会のテーマは『時代は今、がん克服からがん撲滅へ!』といたしました。

がん患者がそこにいる以上、我々は現状に満足して立ち止まることは許されません。「がん撲滅」という人類のニューフロンティアに対し、不可能を可能に変えるため共に前進しようではありませんか!

岸田文雄内閣総理大臣が新しい資本主義として公益資本主義による改革を進める中でがん医療の世界にも公益資本主義の発想は必要です。

公益資本主義の理念で制度改革を行い、日本を、寿命を全うする直前まですべての国民が健康で生きることができる世界最初の独立国家にするには、まず第一に、がん撲滅をやり遂げねばなりません。

もう、がん撲滅は日本人だけの戦いではありません。人類全体の戦いにしなければなりません。「いのち輝く未来社会に向けて」という理念を掲げる2025年の大阪・関西万博の会場となる、ここ大阪の地で本日、私共はそれを実感していただける大会にして参ります。

天国の坂田捺乃(さかたなつの)さんへ贈る追悼文

2016年10月22日。この日開催されたがん撲滅サミットのステージで1人の少女が生きることの尊さ、何かに向かってチャレンジしていくことの大事さ、そして小児がんと闘っている同世代の子供たちに向かってエールを送る予定でした。

当時、中学2年生だった坂田捺乃(さかた なつの)さんが、その人です。平成13年3月26日生まれの坂田捺乃さんは三沢市立三沢第一中学校時代に脳幹グリオーマという小児がんを発症しました。

小児がんと闘っている彼女のことを知ったのは、妻の友人の紹介でした。

リハビリ中の2015年7月、小児がん撲滅を願っていた彼女に、がん撲滅サミット2016への登壇をお願いすると、リハビリ中の彼女から、こんなメールが返ってきました。

「ありがとうございます。ほかの子供たちのお役に立てるのでしたら頑張ります。でも、先生、私、緊張したら笑ってしまうので、どうしようかと思います」

読書が好きだった彼女は、その一方で皆さんもお名前を聞けばご存じの国民的なアーティストの大ファンでした。手術の前や放射線治療中、そして病室でイヤホンを通じて、彼らの音楽に耳を傾け、がんと闘う勇気と前向きに生きていくパワーをもらっていたそうです。

2015年9月に病気が再発し、その後、自宅治療で頑張っていたなっちゃんにもクリスマスが近づいてきました。ある日、ご両親が「なっちゃん、クリスマスプレゼント何が欲しい」と尋ねると、彼女は 「私のものはいいから、大好きなアーティストに小児がんで苦しんでいる子供たちや家族が元気になる歌を作って欲しい」

ご両親は困惑して顔を見合わせました。彼女の夢があまりにも壮大で、お店で買えるようなリクエストではなかったからです。

「それ以外に、なっちゃんが欲しいものはないの?」と聞いても、 「ない。あの人たちに私と同じように苦しんでいる子供たちや支えてくれている家族が元気になる歌を作って欲しいの」

この言葉を聞いたご両親は行動を起こそうと決意したのです。多くの人たちに坂田捺乃さんの願いを伝え、少しでも彼女の夢を応援してほしいと奔走したのです。

お金では買えないプレゼント。しかも、同世代の小児がんで苦しんでいる子供たちを励ましてほしいという崇高で清らかな願い。彼女の願いだけでも、そのアーティストに届けようと皆が八方手を尽くしました。

そして2016年1月のある日。父親の篤史さんの携帯に1本の電話がかかってきました。

「突然のお電話で失礼します。坂田捺乃さんのお父さんですか?」 その声は、あのアーティストご本人だったのです。しかし坂田捺乃さんの意識は混濁し、眠ったままの状態です。それでも篤史さんは捺乃さんの耳元に携帯電話を当ててあげました。かすかにアーティストの声が漏れてきます。

「なっちゃん! なっちゃん! 早く元気になってね。応援しているからね。東京の病院に入院することがあったら、必ずお見舞いに行くから頑張ってね。応援の歌はすぐにできなくても、僕らの歌の中から応援の歌になると思うものをみんなで選んで送るからね」

その後、坂田捺乃さんと小児がんで闘う子供たちのために、そのアーティストとメンバーが皆で選んだ曲が送られてきました。坂田捺乃さんの夢が奇跡を起こしたのです。

我々は心から感動を覚えました。自分だけではなく同世代の小児がんで闘う人たちを励ましてあげて欲しい。そんな純粋な思いが人を動かすのだと。

しかし、その1ヶ月後の2016年2月6日、闘病の末、彼女はわずか14歳で天上の星になりました。彼女から私に送られてきた最後のメールには 『中見先生、私はしっかり勉強して女医さんになりたいと思います。女医さんになって小児がんの子どもたちをみんな治してあげたいんです』 と強い決意が綴られていました。

星になった彼女の名前は、『光明院天心桜華清童女』。天女のように清らかな心で、地上で闘い続けるがん患者の皆さんを応援する少女という意味です。

私は思います。彼女の崇高な願いは小児がんを抱えて闘う子供たちだけでなく、我々に向けて託された夢だったのではないかと。 本日、闘病中だった彼女が、2015年6月9日に開催された第1回がん撲滅サミットに寄せてくれた手紙をご紹介します。

『がん撲滅サミットに参加された皆様にお手紙を差し上げるご無礼、どうかお許し下さい。また、リハビリ中のため手が思うように使えず、乱筆にて失礼いたします。

病気だと分かった日。私は怖くて怖くて涙が止まりませんでした。なぜ自分が、こんな病気になってしまったのだろうと悔しかったです。

今、退院してから検査がすごく怖いです。病院で何度もとったMRIも大きな音がして、狭くてすごく怖いです。また病気が大きくなって、せっかく頑張った入院生活をまたやり直すことになったら、前と同じように治療はうまくいくのか。たくさんの不安があります。

私は、脳幹部に腫瘍があります。先生からは手術では手が出せない所だと説明を受けました。だから腫瘍は小さくすることしかできません。一生この病気と離れられないのかもしれません。すごく悔しいです。

でも、私の主治医の先生は、こう言ってくれました。

「泣いてもいいけど、泣いたら小さくなってくれるような弱い病気じゃない。だから一緒に闘おう」

私はこの言葉のおかげで、不安で泣いてしまうことがあっても、すぐに前向きになる事ができます。その先生の下には私と同じような病気の子供がたくさんいました。中には二回、三回と入院している子もいて驚きました。でも、みんな元気で明るく頑張っている姿を見て、私も前向きになれました。

私の母はずっと入院中、そばにいてくれました。いつも明るく私を笑わせてくれて元気をもらっていました。でも中には、私より小さい子供が一人で寝泊まりしていました。私はお金のことでも家族のサポートのことでも、よい環境で治療を受けることができたと、今、思っています。

しかし、すべての子供たちがそうではありません。気持ちを強くもって治療に臨むことが、私は大事だと思います。本人や家族が治療に集中できる環境作りが大切だと思います。

治療を受ける私たちにとって、周りのサポートはすごく重要です。大切な人がそばにいてくれれば、きっと前向きな気持ちになれると思います。

私と同じような病気の子供たちの、がまんや不安な気持ちを少しでも減らしてほしいです。

私が病気になってから、中見先生や東京の病院の先生に助けられて、病気と闘うことができています。手術後に不安になったり、傷口が痛んだり、ワガママを言いたくなることもきっとあると思います。

そんな時、だれかがそばにいるって、きっと力になるし、大事なことだと思います。

私は今まで、ニュースなどを何気なく見ていました。難病で海外に行くための募金を集めたりしているのを目にしました。早く治療をして、病気を治したいのにお金のことで困ってしまうのは、すごく大変だと思います。

私は自分の治療費のことなどを知りません。少し不安になったこともあったけど、父が「何も気にしなくていいんだからな」と言ってくれて、安心しました。また、弟が青森にいますが、父と祖父母が面どうを見て、母はずっと私につきそってくれました。

しかし、小児難病と闘っている子供たちが日本には、まだたくさんいると思います。

私の小さな力で何かできることはないかと思い、今、こうして手紙を書きました。

私の願いが届きますように。 坂田 捺乃』

以下はご両親からいただいた『世界がん撲滅サミット』へのメッセージです。

『娘の闘病生活が終わり、様々な感情と共に移り行く日々を、娘をいつも傍に感じつつ過ごしています。 代表顧問、中見先生のお力添えにより、素晴らしい医師団に出会い、病気と向き合うための心のケアから始まり、主治医と共に強い気持ちで治療に臨みました。

娘も私たちも最後まで諦めず、その後も様々な医師と治療の可能性を探り、納得した治療を受けた結果として、寂しさを抱えながらも、前向きに生きようとする今があると感じています。

本日、がん撲滅サミットに参加されている患者、ご家族様のお悩みやご心配事もまた、様々でしょう。皆様が治療に向けたヒントを得られ、共に闘って頂ける医師に巡り合われる事を願ってやみません。

娘は最後まで病気と向き合い、また、同じ境遇の子供達に心を痛めておりました。

今回のサミットが、そのようなお子様方やそのご家族にとっても、ひとつの希望となりますことを心よりお祈りいたしております。』

おかげ様で坂田捺乃さんの願っていたウイルス療法G47Δが、がん撲滅サミットの働きかけにより条件付承認となり、脳幹グリオーマの患者の皆様に適用されることになりました。

我々、がん撲滅サミットは星になった彼女の夢をさらに叶えるため、小児がん撲滅に挑戦していくことをここに誓います。